イチジク

リサーチ

9月は和歌山産のイチジクを口にしました。イチジクは、ザクロやブドウとならぶ世界的に最も古い栽培果実のひとつだそうです。今回は甘く美味しいイチジクについて、調べて書いてみました。

基本情報

クワ科の落葉樹。
前年になった幼果が越冬して7月頃に熟すものを夏果。新しく伸びた枝や今年伸びた枝の先端になってその年の8~10月に熟すものも秋果と呼ぶ。
栽培は温暖乾燥地が適しており、今日ではスペイン、イタリア、トルコ、アメリカのカリフォルニアが主な生産地。日本の主な産地は、和歌山、愛知、大阪、兵庫、福岡など。

原産地

西アジアとする説や、小アジアからアラビア南部とする説もありました。
西アジアは、今日の欧州ではアジア大陸の西部になるそうですが、日本の外務省によるとアフガニスタンからトルコ、アラビア半島は中東と呼ぶようです。
小アジアはもう少し狭い地域を指していて、ヨーロッパとアジアの交差点になるトルコ共和国のアナトリア半島を指し、東はアルメニア、ジョージア、アゼルバイジャン、イラン、イラク、シリアと接している地域です。
アラビア南部は原産地とされるだけあって、現在でも多数のイチジク野生樹がみられるとか。

中東地理えとせとら
中東地域というと、私には砂漠と乾燥地、そして地中海や紅海、ペルシャ湾、アラビア海のイメージだったのですが、一部の地域にはスキーができるような山地がイエメン、オマーン、レバノン、モロッコなどに存在するようです。
また広大ではないものの森林があり、世界遺産に指定されたレバノン杉が残存するカディーシャ渓谷と神の杉の森、モロッコのアトラス山脈に針葉樹やブナなど、オマーンのダホフ地帯には夏にモンスーンの影響を受けるモンスーン森林があり、イエメンにも一部森林地帯があるようです。

栽培の歴史

紀元前3000年紀のシュメール王朝時代(古代メソポタミア文明)に始まったとされる。紀元前2000年頃には古代アッシリア人(現在のアッシリア人と古代アッシリア人の遺伝的関係は明らかになっていない)の間で知られていた。
その後、小アジアから地中海沿岸地方に栽培が広がった。イチジクの学名、Ficus cariaのcariaは小アジアのカリア(英語: Caria)、アナトリア半島南西部の古代の地名に由来します。
中国への伝来は唐時代(618~907)。
現在のイチジクの世界的産地カリフォルニアへの伝来の道のりは、西インドに1520年ごろ、フロリダに1575年ごろ、カリフォルニアには1769年ごろとされています。

西インドえとせとら
西インドとはどの地域なのかと調べた時、カリブ海の情報が出てきて地理に疎い私は混乱しました。カリブ海はインドの地域ではないことくらいはわかるつもりでしたので。
さらに調べると、新大陸へ到達したコロンブスがその途中で、バハマ諸島の一部、キューバなどを探索したときにインドの一部と誤認し、「西インド諸島」と名付けたことがわかりました。コロンブスがアジアへの新しい航路を探した1492年当時は、欧州から西に航海すればアジアに到達できると一般的に考えられていたため、カリブ海に位置する島々をインドの一部と誤認したのですね。

日本への伝来と呼び名の起源

中国から伝来した説と、ポルトガルから伝来した説があるようです。
広辞苑では中世ペルシャ語でイチジクはanjir(アンジール)と呼び、中国の音訳語「映日果(インジークォ)」がさらに音転したものと書かれていました。
一方別の事典のポルトガル伝来説は最初に長崎に届いたとされ、蓬莱柿(ほうらいし)の名で伝えられ『和漢三才図会』に「俗に唐柿(からがき(広辞苑では【とうがき】と記載))という一月(ひとつき?)にして熟す故に一熟(いちじゅく)と名付く」とあるそうです。
千葉県のHPでは、「1日に1果ずつ熟すから一熟」とする説と「1ヶ月で実が熟すことから一熟」とする説がありました。「一熟」から「イチジク」と音転したのでしょうね。

しかし、イチジクは「無花果」とも記載されます。これは、イチジクの花が外部から見えないまま果実になったように見えるので、当て字になったようです。実際には、花弁や雌しべ雄しべを支える花托(かたく)の部分が肥大してツボ状になり、この花托の内部で小花が咲いています。

anjir(アンジール)えとせとら
タレントのゆうこすさんが立ち上げられた化粧品のブランドがanjir(アンジール)と名付けられています。ペルシャ語のイチジクからひいてきた言葉として商品コンセプトが書かれていますが、なかなか素敵な一文で魅力を説明されていました。
《anjir(アンジール)はペルシャ語でイチジクという意味。 外からは見えないけれど、実の中でひっそりと花を咲かせる希少な果実。》
ゆうこすさんは、福岡県出身。福岡は日本国内でイチジクの生産量5位(2018年)で、全国シェアの8.5%。こういうこともブランドのネーミングに影響したのかもしれません。

生物として

園芸の分類では4系統存在します。雌花をつける系統と、雄花と雌花をつける系統、中性花(雄しべ・雌しべとも退化または発育不完全で、種子を生じない花)をつける系統にわかれています。

カプリ系

雄花、雌花、虫癭花(ちゅうえいか)(虫癭は虫こぶの意味)をつける。
ブラストファガ(イチジクコバチ)が花粉を媒介している。ブラストファガは花柱(めしべの一部分で、柱頭と子房との間の柱状の部分)から産卵管を伸ばして虫癭花に卵を産む。幼虫は子房内部を食べて育ち、寄生された子房は肥大して虫こぶになる。
成虫が羽化する時期に雄花の花粉が成熟し、雌成虫が外部に出る際にブラストファガの身体に花粉が付着する。
そして、別の若いイチジクの果囊に入って産卵する際に、雌花に受粉させる。ブラストファガが寄生した実は食用にならない。

スミルナ系

雌花しかつけない。このため、カプリ系をそばに植えて、カプリ系の花粉をブラストファガを介して受粉させる(カプリフィケーションと呼ぶ)。
しかしスミルナ系の雌花は花柱が長く、ブラストファガの産卵管が届かないため、ブラストファガは寄生できない。
野生種であったころのイチジクは、カプリ系が雄株、スミルナ系が雌株に相当していたとみることもできる。

ミッション系

雌花と中性花をつける。単為結実性(受精が行われずに果実を形成する)があり、受粉せずとも実がなる。

サンペトロ系

夏果は単為結実するが、秋果は受粉を必要とする。

イチジク属の植物は熱帯を中心に900種近くが知られており、各種にそれぞれ異なる種のイチジクコバチ種が存在し花粉の媒介を行う。
しかし、日本にはブラストファガは存在しないため、ブラストファガによって受粉したイチジク果も存在しない。このため日本のイチジクは、③ミッション系か④サンペトロ系に限られる。

食品として

生食の他、乾果やジャムに加工されることが多く、プレザーブ(パイやタルトに使用するために果物の原形を残したまま砂糖等で煮たもの)やブランデー漬けにも加工されることが多いそうです。

文化的な位置づけ

聖書には、地上の楽園(エデン)において、アダムとイブは知恵の実を食べたために、裸であることに気づいて恥じ、イチジクの葉で腰を隠した(《創世記》3:7)とある。その他にも数多くイチジクが登場し、禁断の実がイチジクだとする説もある。

イチジクえとせとら

イチジクの国内生産量トップ5

和歌山県: 2,019.5トン、全国シェアの19.3%
愛知県: 1,795.3トン、全国シェアの17.1%
大阪府: 1,339.6トン、全国シェアの12.8%
兵庫県: 1,215.7トン、全国シェアの11.6%
福岡県: 887.7トン、全国シェアの8.5%

イチジクと流通

イチジク果実は傷みやすいと聞きます。流通期間も短く感じられ、流通のコストもかかるのか価格が高い果実に思われます。輸送時の品質管理の改善も試みられています。

輸送容器を改良したことで、0℃貯蔵や冷蔵コンテナでの輸送が可能になり、香港など広域流通が可能になった。

生物系特定産業技術研究支援センター

イチジクと言えば……

イチジク浣腸のことも思い出したので調べました。
イチジクの乾果や煎じた茎葉には、緩下(かんげ)作用(おだやかに作用する下剤)や駆虫作用があり、乳汁に含まれるフィクシンと呼ばれるタンパク質分解酵素が薬効を持ち、痔の塗布薬にもなっているようです。
ところがです!私が知っていたイチジク製薬のイチジク浣腸はグリセリンが主成分で、イチジク成分は含有していないそうです。ではなぜイチジクの名を使用したのか……?企業Webサイトにもウィキペディアにも由来が記載されていなかったのですが、類推しているWebサイトがありました。

命名の由来は、無花果(イチジク)の実(実際には花托〈かたく〉ですが)を見て形が似ていることから名付けられたという説が有力ですが、この他にもいくつかの諸説が存在しています。
その内の2、3をあげますと、
●イチジクの乾実は和漢薬の緩下剤として用いられていることより命名されたとの説。
●イチジクの果実が熱するのが早いことにより、浣腸の速効性を連想させるために命名されたとの説。などがあります。

https://www.hmaj.com/kateiyaku/ichijiku/

おわりに

イチジクの原産地、また歴史ある植物の文化的側面も含めて知ると、イチジクの味ももっと奥深くなるかもしれません。

参照資料

  • 日本大百科全書
  • 世界大百科事典
  • 広辞苑
  • ウィキペディア
  • 千葉県HP

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